2025/09/16
トンプソンM1928A1 & MP40

Gun Professionals 2015年11月号に掲載
誰しも、“理屈抜きに好きなガン”というのがあるのではなかろうか。1921年に世界で始めて“サブマシンガン”と名付けられたアメリカのトンプソンSMG、通称“トミーガン”と、第2次大戦の戦場でライバルとなったドイツのMP40は、両国のお国柄というだけではなく、あらゆる部分で対称的だ。そしてそのどちらも、ある世代以上の銃器愛好者にとって、“理屈抜きに好きなガン”に数えられるものだ。
COMBAT! SMG
皆さんは“コンバット! ”という人気TVシリーズを、ご存知だろうか。ある世代以上の銃器愛好者なら知らないはずはない。もはやクラシックといっても過言ではないが、オリジナルは1962年から5年間に亘り、なんと152話が放送された。第2次大戦におけるアメリカ歩兵分隊の活躍を描いた、いわば海外ドラマの先駆けである(日本にとっては)。一話完結のいわばヒューマンドラマで、戦争モノとはいえ歴史上の史実や両サイドの装備にはそれほど比重が置かれておらず、漠然とヨーロッパ戦線の架空の部隊に起こるドラマを描いた物語であった。レギュラー出演のアメリカ兵は5人ほどで、番組初頭で紹介される出演者は、ヘンリー少尉(リック・ジェイソン)とサンダース軍曹(ヴィック・モロー)の二人と、毎回変わるゲストスターだけという簡潔極まりない陣営だった。
当時小学生であった私は、水曜の8時になると、何が何でもテレビの前に陣取るという姿勢を貫いたものだ。母や姉の冷たい視線を撥ね返して、この“コンバット!”と“ラットパトロール”だけは譲らなかった。
初めの頃は、やはりその戦闘シーンに釘付けとなった。年代からいくと、私がテレビ小僧と化していたのは、第2シーズン(全部で5シーズンあり、始めの4シーズンはなんとB&W、つまり白黒放送であった)の最中だったと思われるが、ドイツ軍の圧倒的威力を持つ機関銃座(今思えば、これはMG42マシンガンで、少しばかり発射サイクルが遅すぎるのだが)を、サイドから迂回してやっつけてしまうという“お決まり”パターンを、ハラハラしながら見守っていたものだった。
ここで惚れ込んでしまったのが、我らがサンダース軍曹の持つトンプソンSMGだ。サンダースが撃ちまくるトミーガンは、ショートバースト(数発単位に区切ったフルオート射撃)で腰だめからの射撃にもかかわらず、とにかく良く当たる。また、予備マガジンを身に付けているシーンを見たことがないが、何はともあれその射撃シーンは迫力満点で、際限なく撃ちまくってくれる。カービーの持つBAR(ブローニングオートマティックライフル)もカッコよかったが、発射サイクルが遅いために、いまひとつ迫力に欠けるきらいがあった。
対するドイツ軍は、MG42の圧倒的な火力のほかは、下士官が持つMP40がなんとも圧巻であった。普通の兵士はご存知のごとくKar98kのボルトアクションライフルのみなので、M1ガランドを撃ちまくるケリーたちに比べると、やはり精彩に欠けるというしかない。いうなれば、サンダース軍曹の“トミーガン”vs.ドイツ軍“MP40”という東西対決の様相を示していたのである。
以前HK MP5の取材でお世話になったAaron(アレン)の工房には、それこそ世界中のマシンガンが顔を揃えている。拳銃弾を使用する“サブマシンガン”カテゴリーも充実していて、M3グリースガンやステンMk.IIに混ざって、このトンプソンM1928A1が燦然と光り輝いていた。ここで白状してしまうと、MP5実射の撮影に、M1928A1とMP40を無理やり入れてもらったのは私である。もう20年以上前に、ガンスミスのロン・パワーさんの工房を訪れた際、M1921を撃たせてもらったことがあった。30連マガジンを全弾水溜りにぶち込むという遊びの面白さは、これはもう筆舌に尽くしがたいものがある。アレンの工房で、M1928A1と3個の50連マガジンを見つけてしまった私は、彼の後ろに後光を見たような気分であったのだ。
口径:.45ACP
銃身長:12インチ(コンプ込み)
全長:33.5インチ(850mm)
重さ:4.94kg(マガジンなし)
トミーガン
トンプソンSMGは、1918年にジョン・T.トンプソンによって作り出された“サブマシンガン(SMG)”である。その開発は、1914年に勃発していた第一次世界大戦が機関銃の出現により“塹壕戦”が主流となりつつあったため、その打開策として拳銃弾を使って1兵士が持ち運べる機関銃を生み出すべく進められていた。ジョン・トンプソンは、アメリカ軍への制式採用を目標に、“オートオーディナンス コーポレーション”(Auto-Ordnance Corp. 以下AO社)を設立し、この画期的なウェポンを開発したが、プロトタイプを送り出す直前に、第一次大戦は終焉してしまう。
M1919
ジョン・トンプソンが1919年に初めて製品化したフルオートモデルである。製品名は“トンプソン サブマシンガン”で、世界で初めて「サブマシンガン」という名称が使われた。これはライフル弾を使用するマシンガンに対して、拳銃弾を使用する個人用フルオートウェポンという意味であった。M1919と呼ばれるのは後年になってからだが、“トミーガン”という愛称はこのときに考案されている。生産数は少なく、そのほとんどがプロモーションもしくはテスト用に供されたため、現存数は限られている。
このプロトタイプとも言うべきモデルは、毎分1,500発という圧倒的な発射サイクルを備えており、100連ドラムマガジンを、4秒で撃ち切ってしまう驚きの性能を持っていた。
M1921
これは1921年に“トミーガン”として、初めて量産が行われたモデルとなる。当時製造を担当したのはあのコルト社で、約15,000挺が生産された。しかしその高価格(当時の価格で約200ドル。400ドルあれば、フォードの乗用車が買える時代だった)があだとなり、その売れ行きは緩やかなものだった。期待されていた軍への制式採用は、大戦後の軍縮により見送られ、AO社は大量の在庫を抱えることになる。
そんなトンプソンSMGの名前を一躍有名にしたのは、禁酒法(1920-33)の恩恵を受けて急成長していたマフィアなどのギャングが、トミーガンを愛用し始めたことによる。当時アメリカでの銃規制は緩やかそのもので、トミーガンはメールオーダーや最寄のスポーツショップで簡単に手に入れることが出来たのだ。ジョージ“マシンガン”・ケリー、アル・カポネ、ジョン・デリンジャーといった名の知れたギャングスター達がトンプソンSMGを愛用し、メディアによって喧伝された“マシンガン=トミーガン”は、一般にも認知されていったのだ。
こうしたギャングの暗躍に対抗して、FBIなどの法執行機関でもトミーガンが採用され、その近距離での絶大な威力はニュースや映画などで評価されていった。
右:この状態でカバーをオープンできる。弾を並べたら、カバーをして、ゼンマイ部分をスライドインさせ、巻き上げる。


