2024/11/26
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第15回「そ」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第15回
そ
卒業
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
第15回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。
季節外れもいいところだが、今回のテーマは「卒業」でいかせていただきたい。
皆さんは、卒業と聞いて何を思い浮かべるだろうか、という話である。
制服のボタンをねだられて支配から卒業
昭和48年生まれの筆者にとって、真っ先に思い浮かべるのは制服の第2ボタンであり、その光景を詩情たっぷりに歌い上げた斉藤由貴の『卒業』(*)である。
*『卒業』:1985(昭和60)年にリリースされた斉藤由貴のデビューシングル。筒美京平&松本隆という歌謡曲の黄金コンビがつくった名曲。今聴いても素敵。ちなみに尾崎豊の『卒業』も同じ年にリリース。夜の校舎で窓ガラスを割る主人公がちょっと切ない。
卒業式の日に女子生徒が、気になる男子生徒の、学生服の上から2番目のボタンをもらうのである。女子が「恋愛未満」の好意を精一杯に表明する甘酸っぱいやりとりだ。
『卒業』の作詞を担当した松本隆は、昭和30年代後半の自身が下級生たちに制服のボタンをねだられた実体験をもとに書いたそうである。
さらにルーツをたどると戦時中に出征兵が思いを寄せる女性に渡したエピソードに行き着くらしく、なかなかに歴史と深みのある儀式(*)なのである。
*歴史と深みのある儀式:元記事はこちら。「卒業式に第2ボタンもらうの なんでなん?」。よく調べられた記事で、最後には松本隆にインタビューまで敢行している。
とは言え、昭和から平成に元号が変わった年の公立中学校の卒業式では、そこまで思い詰めた感じは薄れていた。
女子たちはカジュアルに仲良しの男子にボタンをもらいに行っていて、色男くんたちは第2どころか5つだか6つだかあるボタンを全部取られて、みんなで楽しそうに笑っていた。
明るさの中にほんのひとさじの切なさが混ざった「青春の一コマ」である。
尊い。
そして読者の皆さまは薄々お気づきだろう。
僕も準備万端、なんならスペアも用意する勢いで式に臨んでいたのだが、我が栄光のボタンたちは、全員無事&無傷でぴっかぴかに輝いたまま終わりを迎えたのだった。
僕がボタンを率いる武将か軍師だったら、どれだけ賞賛されてもされすぎることはない。だが、今回ばかりは全員どっかに連れていかれる方がイカしているのであり、僕は同じく世が世なら名軍師になったであろう同級生と薄く笑いながら、静かに家路を急いだのである。
ささくれだった僕らの心を癒してくれたのが、尾崎豊の『卒業』だった……。
花束を贈りあう、令和の旅立ちの日
と、ここまで調子よく書いてきて、はたと気づいた。
現代の若者たちは、果たして「第2ボタン」のことを知っているだろうか。
早速、先日ハタチになったばかりの娘と、現在高3の息子に聞いてみた。
「あるにはあったよ。でもやってない」
「うん、存在は知ってるけどね」
「だよねえ。うちらの学校、制服なかったし。他校でもボタン交換よりも男子の学ランを女子が借りてプリ撮る方が流行ってた」
プリってなんぞ。という疑問は残るものの、ともかく令和の若人も第2ボタンのこと自体は知っているようではある。
「その代わり、花束を贈り合う風習があった。他の地域でも、友だち同士とかカップルで贈りあってたみたい」
大学生の娘は、全国から集まってきた学友たちにインタビューまでしてくれたようである。父を軽く超えていくその取材力に嫉妬しつつ、卒業式といって思い浮かべる歌についても聞いてみた。
「習っとらんくても多分みんな歌える」
「自分の世代、こればっかり歌ってた」
え、斉藤? 尾崎? と一瞬いろめきだったのだが、正解は『旅立ちの日に』であった。
とある中学校の校長と音楽教師が1990年代初頭につくってから人伝てに広まり、ついにはCMの中でも歌われ、今や卒業の定番曲にまでなったという奇跡の曲である。動画サイトで聴いてみるとなかなかにいい歌詞とメロディーで、人気になるのもうなずける。
なるほどと思って、Googleで「卒業式 定番 曲」で調べたら、確かに上位に上がってきていた。そして他の人気曲に関しては、僕はまるで知らないものばかりであった。
◆
時代の流れを感じながら、ぼんやりと子どもたちの卒業式の光景を思い浮かべた。
確かに娘は、仲良しのお友だちと花束を交換して写真を撮っていたし、息子は、ちょっと気になる女の子と一緒に写真を撮っていた。ふたりともすごく、ものすごく楽しそうだった。
僕とはまるで違う青春を送っているみたいで、よかったと思いつつ、30余年前にボタンを取られて笑っていた色男くんたちや、薄く笑いながら一緒に帰った同級生は、今どうしているかなと想像した。
たぶん、当時の面影なんて残っていないと思うし、思い出もあやふやだろう。そして、卒業に抱いていた感情だって、まるで異なるものだろう。
考えてみれば、学校、特に義務教育って年齢で区分けされてほぼ強制的に集団生活を送らされていたわけである。楽しくてたまらない人からマジ行きたくねえって人まで一緒くたにまとめて「卒業」になるわけだから、考えようによっては雑な話である。
そして、僕のように意志薄く暗い感じで通っていると、思い出はなんだかぼんやりした色合いの重みのないものになりがちである。
それでも時を経ると「卒業」ってやっぱり大きな転換点だったし、いろいろあったけど、とにかくここまで生きてきたよなあ、と懐かしく思い出せるイベントになるのである。
象徴するアイテムが、第2ボタンから花束になっても、歌が、斉藤由貴から校長先生になっても、さらに未知の新しいものになっても、その人にとって大きな意味を持つ「儀式」であることは変わらないだろう。
改めて問おう。
皆さんにとって、卒業と聞いて思い浮かべるアイテムや歌ってなんですか?
TEXT:服部夏生
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