2026/01/04
コダワリのハンティングライフル Rem 03-A3, HK SL7 & Valmet 【動画あり】

ごく普通のボルトアクションと民間用BARばかりが日本のハンティングライフルではない。ちょっとだけコダワリと強い意志があれば、こんな個性的なモデルだって所持できたのだ。とても魅力的な銃とその持ち主を国内で取材した。
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アイアンサイト ハンティングライフル
ひょんなことから、信州在住のハンターと出会う機会に恵まれた。聞けば、「100-200m前後までの射程で、ボルトアクションなら03-A3、もしくはセミオートのHK SL7、スコープが必要な距離が予想されるなら、VALMETで狩猟しています」というのだ。「えっ、ヴァルメットって、あのAKのバリエーションモデルですか!?」「はい、いわゆるフィンランド製AKのハンティングライフルバージョンです」「!!?」
とまあ、驚きの展開があり、図々しくも実射と撮影の取材までお願いしてしまったという経緯があった。
この稀有な存在としか言いようのないベテランハンターである古幡さんは、若くして狩猟免許を取得後、すぐにショットガンの所持許可を得て地元の猟友会で実績を積み、10年後にライフル銃にステップアップしている。
「もともとクラシックなミリタリー銃が好きで、オープンサイトによる100~150mほどの銃猟にだんだん特化していったんです。猟そのものも単独、もしくは友人と二人だけのより難しく緊迫感のあるハンティングに惹かれていきました。より厳しい環境で頼りになる相棒がクラシックなミリタリーライフルベースの銃だったのです。」
「やはり一番気に入っているのは03-A3です。30-06スプリングフィールドというノスタルジックな口径はもとより、スムーズなボルトアクションやマガジンカットオフ機構など、当時のUSアーミーの基本思想を感じさせてくれます」
「HK SL7はミリタリーライフルではありませんが、そのローラー・ディレイドブローバックシステムは“HK G3”そのものです。コッキングレバーこそG3の左ハンドガードから右側ボルト部分に移動されていますが、オペレーティングシステムやあの前後サイト、その荒々しい撃ち心地など、何やらクラシカルな木製ストックと相まって、私の好きな西ドイツ製工作機械を彷彿とさせてくれます。」
「ヴァルメット(バルメ)ハンティングライフルもみなさんご存じのように、元はフィンランド製のAK発展型バリエーションです。削り出しレシーバーや、オプティック装着のためのより堅牢なレシーバーカバー固定方式を採用しており、.308Win口径と相まって魅力的なミリタリーテイストのハンティンティングライフルに仕上がっています。日本でAKライフルの雰囲気を味わえる珍しい存在ですね」
と熱く語ってくれた。それにしても日本でこれほど個性的なクラシックライフルに出会えるとは恐れ入った。これほど程度の良い03-A3はUSでも2,000ドル以上は下らないし、HK SL7に至っては、1983-1986年と1989-1996年という約10年ほどしか作られなかったこともあり、めったに市場に出てこず、もしあったとしてもその価格は3,000-4,000ドルもしている。以下に、それぞれのライフルのヒストリーや固体の詳細を上げておきたい。
Remington MODEL 03-A3 30-06 Springfield
正式な名称はU.S. Rifle Cal. .30, Model of 1903A3で、1903年にUSミリタリーのサービスライフルとして採用され、1936年にM1 Garandが“U.S. Rifle, Caliber .30, M1”として採用されてからも、予備役やスナイパーライフルとしてベトナム戦争時まで実戦投入されている息の長いモデルだ。今回の個体はシリアルナンバーから1943年1月にレミントンによって製造された1挺であるのがわかった。
製造メーカー:レミントンアームズカンパニー
口径:30-06 Springfield
全長:43.2"(1,100mm)
銃身長:24"(610mm)
重量:8.7lbs(3.9kg)
銃口初速:2.800 fps
フィードシステム: ボルトアクション
装弾数:5発
マガジン:固定
1890年代初頭において、アメリカ陸軍のサービスライフルは、M1873を改良した“U.S.Springfield Model 1884(通称スプリングフィールドM1884 トラップドア)”であり、後装単発式で500grの弾頭を黒色火薬によって1,350fpsで飛ばすというものであった。しかし、ヨーロッパでは、すでに無煙火薬で小口径弾を使用するボルトアクション連発式ライフルが登場しており、その軍用小銃としての採用は1880年代末期に始まっていた。
このままでは他国に後れを取ってしまう。そこで1892年、USアーミー次期サービスライフル選定が開始される。候補となったのは各国から集められた53種のライフルで、結果として選ばれたのはノルウェー製の“Krag-Jorgensen(クラッグ・ジョーゲンセン:アメリカ読み、本来は“クラッグ・ヨルゲンセン”)ライフル”(以下クラッグライフルと呼ぶ)であった。新たな口径は.30-40Kragと命名され、.308(7.62mm) 200grのニッケルジャケットラウンドノーズ弾頭を銃口初速2,000fpsで飛ばすという、ややマイルドなスペックを持つものだった。
この新たな“U.S. Magazine Rifle, Caliber .30, Model of 1892”は“スプリングフィールド造兵廠”において国産化が決まり、1894年に最初のM1892が完成し、各部隊への配備が進んでいく。しかし初の実戦投入となる米西戦争(1898年)で、スペイン軍の装備するマウザーM1893の高い性能を目の当たりにした。
これは当時のUS陸軍における上層部の基本思考がベースになっており、携帯する弾薬をセーブするために、中距離以上の戦闘では、1発ずつ手でチェンバーに装填しながら(すなわち単発ライフルにような撃ち方で)一発必中で射撃し、突撃など非常時のみ、マガジンカットオフ機能を解除して、マガジン内の5発を使うという前時代的な思想に根ざしていると考えられる。
M1893は、堅牢なマウザーボルトアクションをバックボーンに、7×57mm Mauser弾を使用し、170grブレットを、約2,250fpsで飛ばすという, 30-40Kragに比べるとより弾道特性が優れたスペックを持っている。5連クリップによるより素早いリロード性能と共に、その優位性は明らかだった。
米西戦争そのものはアメリカの勝利に終わったが、US アーミーはスプリングフィールド造兵廠に新たなサービスライフルの開発を命じた。この時、.30口径弾頭で銃口初速2300fps以上を達成でき、5連クリップを使用できる弾倉機関部を持つという条件を提示している。
いくつかのプロトタイプが製作されると、USアーミーのオーディナンスボードによる厳しいトライアルが開始され、1903年6月19日、正式に“U.S. Magazine Rifle, Caliber .30, Model of 1903”が承認される。
アクションはマウザーの改良型、口径は30-03 Springfield(7.62×65mm)”で、220grのラウンドノーズ弾を約2,200fpsで飛ばすという性能を持っていた。この時、アメリカはマウザーに対して、パテント使用料を支払っている。
その後、いくつかの紆余曲折を経ながら、バレルの焼損が少ない新しいスモークレスパウダーを採用した30-06 Springfieldカートリッジが1906年10月の時点で採用された。この“30-06”はthirty aught six:サーティオウトシックスと読み、先端の尖ったスピッツァー弾を約2,700fps超えのスピードで飛ばす。そしてこの新型M1906弾を使用するM1903が、新サービスライフルとして配備が進んでいった。
1916年後半になると、アメリカ合衆国の世界大戦への参戦は不可避となり、一般兵士に支給する小火器の絶対数が少な過ぎるという指摘があった。そこでM1903の生産と並行して、US アーミーはイギリスの“パターン1914”ライフルの.303口径弾を30-06 SpringfieldカートリッジにリチャンバーしたM1917 U.S. Enfield rifleの製造に着手する。ウィンチェスター、エディストーン、レミントンの3社がこの契約に応じ、この 1918年までの間に2百万挺のM1917ライフルが製造された。
第一次大戦後、M1903の製造は大幅に削減されていく。スプリングフィールド造兵廠でも新銃の生産は最小限で、修理やオーバーホールに作業がシフトしていった。
1920年代後半に入ると、ガスオペレーテッドのセミオートマティックライフルの必要性が謳われ、次期サービスライフルのトライアルが始まっていく。1936年になると“Semi-Automatic Rifle, Caliber 30、M1”が採用され、スプリングフィールド造兵廠における生産体制が整っていった。
1939年、ヨーロッパで再び大規模な戦争が勃発したが、アメリカはモンロー主義に基づき、この戦争には介入しなかった。しかし1941年12月8日、日本軍による真珠湾攻撃はアメリカの戦争に対する姿勢を瞬時に変えてしまう。
当時すでに新サービスライフルとなっていたM1ガランドのスプリングフィールド造兵廠とウィンチェスター社による大幅増産は勿論の事、レミントンでのM1903の量産をアメリカ政府が要請した。この後、レミントンは1943年3月までに,348,000挺以上のM1903、1942年12月から1944年2月までの間に、改良型M1903A3を707,000挺以上製造した。またM1903A3はタイプライターメーカーのSmith-Corona(スミスコロナ)で約234,000が製造されている。
M1903の量産改良型がM1903A3で、主な変更箇所はサイトシステムの改良とトリガーガード、バレルバンド、フロアプレート等をプレス加工パーツに変更したこと、さらにストックの形状変更も行なわれている。
M1903A3のバリエーションであるM1903A4は、主にWeaver(ウィーバー)の2.75倍スコープを搭載するためにレシーバーやサイトを改造したバージョンだ。また、中には簡略化されていたバレルをより精度の高いものに換装した個体もあった。これらのM1903A4モデルは朝鮮戦争(1950-1953年)からベトナム戦争(1955-1975)初期まで使われている。


