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2024/12/10

昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第16回「た」

 

時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る

 

第16回

たのきんトリオ

 

 令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
 でも、昭和にはたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、”あの頃”を懐かしむ連載。
 第16回は、軍事フォトジャーナリストの菊池雅之がお送りします

 

 

 私はテレビっ子でしたーー。

そもそも父がTV大好き人間だったので、遺伝なのかもしれません。だから、「TVなんか見てないで、勉強しろ!」という大人の常とう句は我が家ではほとんど聞かれませんでした。


アイドル全盛期にひときわ輝いていた3人組

 

 特に大好きだったのが歌番組です。私はかなり早熟だったようで、記憶こそないものの、5歳ごろには、寺尾聡の『ルビーの指輪』が流れると、一緒にマネして歌っていたと、家族や親せきからよく聞かされてきました。ティアドロップ型のサングラスをかけ、寺尾聡のマネをして歌っている写真も存在していました。


 時は、女性アイドル全盛期であり、流行りの歌手の名前を挙げていくだけでも枚挙に暇がありません。しかし、私の渋いチョイスは、女性アイドルではなく、「たのきんトリオ」でした。田原俊彦、野村義男、近藤真彦からなる往年のジャニーズ3人組です。


 しかし、3人がTVで一緒に出演したり、歌ったりしている記憶がほとんどなく、不思議に思いネットで調べて見たところ、活動期間は1980(昭和55)年から83(昭和58)年までと、恐ろしく短期間だったようです。それに加え、基本的にソロ活動が主であったとのこと。


 そんな「たのきんトリオ」として今も語り継がれているのは『3年B組金八先生』の第1シーズンに参加していた事でしょう。


 私よりも少し上の世代からすると、マッチこと近藤真彦の人気は絶大でした。ヤンキー文化が最高潮の頃でしたから、ちょっと“ワルさ”が漂うワイルド系のマッチは、当時の若者に大ハマリしたのでしょう。


 そこへ行くと、トシちゃんこと田原俊彦のダンスは当時から高く評価されていましたが、歌のレベルについては、ものまねタレントのコロッケが、ほぼ誇張なく……(以下割愛)。


 ヨッちゃんこと野村義男は、甘いマスクで、女性人気は絶大でした。ふわっとした髪型を真似した男子も多かったのでは?

 

たのきんトリオそれぞれの著作。『ボクの大冒険 夢をめざして』は1981(昭和56)年、『もう一杯ぶん 話そうか』は1992(平成4)年、『職業=田原俊彦』は2009(平成21)年発行。書いた時期こそ違うものの、”たのきん”については、「響きは(中略)僕個人はあまりうれしくなかった」(トシちゃん)、「お互い、顔見るのも口をきくのも億劫になって」(マッチ)、”特に言及なし”(ヨッちゃん)とほぼ一致。3人とも必死に頑張ってたんだろうな……

 

 私は、昔からこの3人が大好きでした。


 特に解散してから、そう思うようになりました。それぞれの得意とする分野へと突き進む姿がカッコ良く見えたからです。


 特に田原俊彦は、俳優として引っ張りだこになります。代表作として1988(昭和63)年からシリーズがスタートしたTVドラマ『教師びんびん物語』を挙げる人が多いようです。私も大好きなドラマではありますが、その前(1987年)に放送されていた『ラジオびんびん物語』の方がお気に入りです。


 小学生の頃、放送委員会に所属し、ぼやっとですが私の将来の夢の中には「ラジオのDJ」もありました。だからラジオ制作が舞台のドラマは興味津々でした。内容は、TVにお株を奪われたメディアとなってしまったラジオを盛り上げていく、という職業もの。あまり再放送されていないのが残念です。


 こうして小中学生の頃は、アイドルとしてではなく、それぞれの分野で活動する「たのきん」が、実に男らしくカッコいいと思っていました。


バイト先で出会った永遠のアイドル

 

 高校時代に入り、バンドを始めた私は、ここで改めてヨッちゃんのカッコ良さに気が付きます。彼は、アイドル路線を完全に脱し、日本を代表するギタリストとなったのです。


 時代は平成となり、私は写真を学びつつ、渋谷の居酒屋でアルバイトをしていました。
 その店は、センター街の奥にありました。飲食店がいくつか入るテナントビルの中のフロア2つがお店となっており、下が居酒屋となっており、レジ前にある階段を上ると宴会場という構造でした。


 NHKが近く、さらに周辺はライブハウスがいくつかあったので、それらに出演した芸能人やバンドが、打ち上げの会場として、このお店を選ぶことが多く、そんな方々の予約が毎週末入っているような変わった店でした。


 人気には、立地だけの問題ではないある秘密がありました。


 有名歌手やバンドは、ファンも多く、ライブ終わりにくっついて来店する者も少なくありませんでした。しかしながら、レジ前の階段は関係者しか上がれないため、ファンは宴会場へは行けず、下のフロアのテーブルに着きます。しかし、飲食はカモフラージュで、チラチラと階段を確認し、お目当ての“推し”が降りて来るのを待っているのです。


 しかしこの宴会場には「扉」が設けられていました。そこからは非常階段に出られて、まったく違う出口へと降りることが出来たのです。


 まさに秘密の裏口です。


 ここなら、ファンをまくことができる。そんな情報が業界内に口コミで広まったのかもしれません。


 私はさまざまな有名人にお会いすることとなりました。店長の方針で、「みなさんお忍びでお酒をゆっくりと飲みに来ているのだから、サインをもらうようなことはしないように」と厳しく言われていたので、ミーハーなことができなかったのが残念でした。



 そんなある日、なんとヨッちゃんが来店したのです。


 バンドメンバーやスタッフなど、50人以上の大宴会だったと記憶しています。私は、料理を運びながら、気が付かれないようにチラチラと顔を眺め、あまりのカッコ良さに痺れてしまいました。


 3時間ぐらいたったころ、ヨッちゃんは退店します。私は廊下に立ち、「ありがとうございました」と大きな声でご挨拶。するとよっちゃんは私の前で足を止め、「元気だね」と声をかけてくれました。そして私の全身を一瞥し、「バンドやってるの?」と聞いてきました。その頃の私は、肩を超える長髪だったので、そう思ったのでしょう。


「はい!」と返事をすると「頑張って」と笑顔を見せてくれました。

 

高校時代の筆者。カットしないままの弦がイカしている。若きジャパニーズロックスター

 

 子供の頃のあこがれが色あせることなく、そればかりか今もカッコいい「たのきんトリオ」。これからも元気に活動して欲しいです。

 

 

TEXT:菊池雅之

 

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