2025/01/17
オヤジ世代はモデルガンでSMG(サブマシンガン)とBLK(ブローバック)を学んだ!chapter.01
オヤジ世代はモデルガンでSMG(サブマシンガン)とBLK(ブローバック)を学んだ!
サブマシンガン(SMG)がどんなものか知らない人が多かった昭和の時代、それがタマをばらまくもので、連射の反動が「カイカン」であることを教えてくれたのはモデルガンだった。
ばらまき
おそらく、モデルガン第1号のサブマシンガンは、MGCが1964年に発売した「M-3グリスガン」だと思われる。スチールプレスのモナカ形式という点では実銃とそっくりだったが、その構造はまったく違っていた。いわゆるオモチャメカで、厳密には今で言うモデルガンとは別物。当時はまだモデルガンの定義といったものは固まっておらず、さまざまなタイプのトイガンが試されていた時代だった。基本的には、飾ったりするよりは遊べることが第一。
そんな売れ線に合わせて、MGCのM-3グリスガンも遊べるモデルだった。柱時計に使われていたような大きなゼンマイばねを内蔵していて、これを手で巻き上げ、その力でボルトを前後に動かし、マガジンに詰めた空薬莢型のカートリッジを連続でエジェクションポートからまきらすというもの。

火薬は使わず、ばねの力でカートリッジを飛ばすので、そのままでは音がしない。そこで回転と衝突によるメカノイズがレシーバー内で反響してカタンという甲高い音がするようになっていた。連射するとカタカタカタカタンと結構大きな音を立てた。
なにより面白かったのは、カートリッジのバラマキ。サブマシンガンらしい高速連射によってカートリッジが次々と排出される。火薬を使わないのに、これがリアル! しかもマガジンリップのカーブに沿って、きれいに並んで飛び出していく。
カートリッジは、MGCがその2年前に発売していたガバメント風モデルガンのコルト・スペシャル用9mmカートリッジ。まさにサブマシンガンの定義どおり拳銃弾を使う。そして実際のM3には9mm口径もあった。
ボクらオヤジ世代は、このモデルでカートリッジをばら撒く楽しさを知った。

この頃のガンファンにM3のカッコ良さを教えてくれたのが、ドン・シーゲル監督の戦争映画『突撃隊』(1961)。主演のスティーヴ・マックィーンは、M3のマガジン3本を上下互い違いにしてテープで留め、素早いマガジン・チェンジができるようにしていた。
この、複数のマガジンをテープで互い違いに束ねておくやり方は、ジャングルスタイルと呼ばれ、本物の戦争ヒーローで、後に映画スターになったオーディ・マーフィーが考案したとされる。おそらく日本で最初にこのやり方が見られた映画は、バストーニュの戦いを描いた『戦場』(1949)ではないだろうか。第二次世界大戦後間もなく作られた映画だけに、装備等がとてもリアルだったとされる。その後、オーディ・マーフィー自身が主演した実録自伝映画『地獄の戦線』(1955)でも見ることができた。ボクは残念ながらどれもTV放映で見た。
ただ、日本のガンファンが真似しようにも、劇場公開当時はまだモデルガンの長物がなかった。MGC製M-3グリスガンが発売されてからも、オプションパーツとしてマガジンが売られていなかったようなので、誰かがやっていた可能性はかなり低い。
反動
モデルガンに大きな変化が起こったのは1968年のこと。まず中田商店が本格的サブマシンガンの第1号となる「MP40」を発売した。最初は亜鉛合金製で、手動の単発式スタンダードモデルだったが、発売後間もなく国本圭一さん考案による「パワーシール・ブローバック」を搭載した画期的なブローバックモデルも発売される。


このモデルは、トリガーを引けばカートリッジが装填されて発火、強い反動とともにはじき出され、次弾が自動的に装填されてまた発火…と、これを高速で繰り返し、カートリッジがなくなるまで連射することができた。豪快な発火音と、強烈な反動、むせかえるような硝煙が、まるで実銃を撃っているかのような気分にさせてくれた。アッという間にヒット商品の仲間入り。
数カ月遅れてMGCも「MP-40」を発売した。中田商店のものが亜鉛合金製だったのに対して、MGCは実銃と同じスチールのプレス製で質感もリアルだったものの、火薬を使わない手動式のレプリカモデルだった。ただこれはごくわずかで、翌1969年、すぐに開放系のデトネーター方式を搭載した、火薬を使うブローバックモデルが発売される。この方式は火薬のセッティングなどがより簡単で、銃口から発火ガスも抜けたことから、中田商店製のMP40を超える大ヒット作となった。マガジンもパーツとして販売されていたので、この辺からジャングルスタイルを真似た人が現れ始めたかもしれない。


MP40は第二次世界大戦時のドイツ軍を象徴するようなサブマシンガンなので、第二次世界大戦を描いた戦争映画などによく出てくる。ボクらの仲間内で話題になったのは、クリント・イーストウッドが『ダーティハリー』(1971)に主演する前に出演した『荒鷲の要塞』(1968)。この映画でイーストウッドは2挺拳銃のようにMP40を両手に持って撃ちまくる。実際にできるかは別として、強烈なインパクトがあった。
MGCのデトネーター方式は大評判となり、強い反動とカートリッジをばら撒く快感を味わえるサブマシンガンは続々と作られた。中でも人気があったのはトンプソン。各社で競作になった。やはりTVドラマの『コンバット!』(1962〜1967)の影響が大きかったのだろう。みなサンダース軍曹気取りでトンプソンを構えたもの。

その後、1971年に第1次モデルガン法規制が施行され、金属製のハンドガンは銃口を塞いで色を白または黄色(特例として金も可)にしなければならなくなったことで、がぜんガンファンの注目は法規制対象外となる長物に向けられることになった。
各社で多くの長物が作られる中、純国産モデルガンの第1号をMGCよりも数カ月早く発売したハドソンは、1973年にスチールプレス製、本格メカ搭載のブローバック・サブマシンガン「M3A1グリースガン」を発売する。


ちょうど映画でM3が活躍するリー・マーヴィンの戦争映画『特攻大作戦』(1967)が劇場公開され、1975年にはTVでも放映されたことで、グリースガン人気はますます盛り上がっていった。その流れに乗ってハドソンのM3A1グリースガンも人気を増していき、多くのファンに愛された。
そして銃に興味のない人にもグリースガンが注目されたのは、薬師丸ひろ子が映画『セーラー服と機関銃』(1981)で連射した後に「カイカン」と言ってからだった。オヤジ世代のガンファンなら、サブマシンガンをフルオートで連射してカートリッジをまき散らした後、このセリフを言った経験が一度はあるはず。
TEXT:くろがね ゆう/アームズマガジンウェブ編集部
この記事は月刊アームズマガジン2024年11月号に掲載されたものです。
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