2025/01/18
オヤジ世代はモデルガンでSMG(サブマシンガン)とBLK(ブローバック)を学んだ!chapter.02
オヤジ世代はモデルガンでSMG(サブマシンガン)とBLK(ブローバック)を学んだ!
サブマシンガン(SMG)がどんなものか知らない人が多かった昭和の時代、それがタマをばらまくもので、連射の反動が「カイカン」であることを教えてくれたのはモデルガンだった。
転換
しばらくサブマシンガン全盛期が続いた。そして1974年にはスチールプレス製最後となる量産タイプのサブマシンガン、MGC製「スターリングMK-V」が発売される。
これが最後となったのは、1977年に第2次モデルガン法規制が施行され、スチールプレス製のモデルガンが作れなくなってしまったからだ。スターリングMK-Vの後にも高級カスタムのサブマシンガンは何種か作られたが、量産モデルはたぶんこれが最後。


円熟期に入っていたデトネーター方式のブローバックは快調で、大いに売れた。また、傭兵による住民救出作戦を描いたロッド・テイラー主演の映画『戦争プロフェッショナル』(1968)で、スターリングMK IVがM3グリースガンと共に大活躍したということもあるだろう。TV放映は規制後となる1979年で、すでに市場からスターリングMK-Vは姿を消していたのだが。
この第2次モデルガン法規制によって、トンプソンなどの古いタイプ以外の、より現代的なサブマシンガンは全滅かと思われた。しかし、サブマシンガン復活には2つの方法があって、それを実現したのもまたMGCとハドソンだった。
第1次モデルガン法規制以降、積極的にモデルガンのプラスチック化を進めていたMGCは、1980年、ついに初めてとなるプラスチック製のサブマシンガンを発売する。それが「S&W M-76 SMG」だった。


プラスチック製の長物としては、MGCにはすでにM1 / M2カービンがあった。それにより紙火薬のデトネーター方式クローズドボルト・ブローバックが快調に作動することを証明していたので、次は新たに開発されたキャップ火薬1発でもサブマシンガンが快調に作動することを証明したかったという。それに、日本で1975年に劇場公開された映画『サブウェイ・パニック』(1974)でM76がカッコよく使われていたので、設計を手がけた小林太三さんはぜひM76を作りたいと思ったそうだ。
ちなみにリー・マーヴィン主演のクライム・アクション『ブラック・エース』(1971)でもM76が使われていて、MGCはこの映画をモチーフにして最初の無料配布チラシを作っている。しかもリー・マーヴィンはガンマニアなのか、この作品でも『特攻大作戦』のようにマガジンをジャングルスタイルで束ねて使用している。
MGCの思惑は見事に成功し、「キャップ火薬で36連射!」のM-76は大ヒットになった。プラスチックでもスチールプレスのサブマシンガンはリアルに再現でき、しかもキャップ火薬1発で快調に作動することを証明した。

一方ハドソンは、御子柴一郎さんが設計を手がけるようになってから、積極的にサブマシンガンのモデルガン化を進めた。最初はトンプソンM1A1だったが、翌年の1980年、デンマークのスチールプレス製サブマシンガン「マドセンM1950」を亜鉛合金のダイキャストで巧妙に再現して発売した。
ただ、実際には1968年に中田商店が亜鉛合金ダイキャストのMP40を作っているので、最初ではない。それでも技術が進化し、よりプレス製らしく作られ、レシーバーを左右にパカッと開いて分解する方式もしっかり再現されていって、それに多くの人が驚かされた。

ただ発火は、紙火薬とキャップ火薬を組み合わせて、当時大きな話題となっていたマルシンの閉鎖系PFC(プラグ・ファイヤー・カートリッジ)方式ブローバックの変形であるピストン・ファイア方式ブローバックで作動させるもので、あまり快調作動とは言えなかった。
それでも発火にひと工夫があった。第2次モデルガン法規制では、長物も銃身をフレームやレシーバーと一体で作り、改造防止の超硬材を鋳込み、銃腔を貫通させてはいけなかった。そこでハドソンは、御子柴さんの考案になるガス・バイパスというバレル基部を迂回して発火ガスを銃口側に流す機構を採用することで、法規制に触れることなく銃口から煙が出るようにした。

似たような機構は1978年に発売されたMGCのプラスチック製M-1カービンでも見られたが、MGCのものは安全対策としてバレル自体を折り曲げるという発想であり、ハドソンは脇道を付け足すという発想で、まったく異なるものだ。そしてこのバイパス方式は他社でも取り入れられるようになっていく。
そんなもろもろのユニークさから、マドセンは人気を集めたが、映画では『007/ダイヤモンドは永遠に』(1971)で悪の組織の手下たちが使っていたくらいで、あまり見かけないレア銃。大ヒットとはならなかったものの、ハドソンらしい選択だった。

スチールプレスを亜鉛合金ダイキャストで再現する流れの最終形としては、1986年にタナカが完全オリジナル設計となるPFC方式ブローバックの「100式機関短銃」を発売している。
ハドソンは、おそらく自社の完全オリジナル設計の金属製サブマシンガンとしては最後となる「ステンMK II」を1983年に発売する。そしてハドソン最後のプラスチック製サブマシンガン「US M3A1グリースガン」を、1991年の年末に発売。これで、ようやく薬師丸ひろ子の「カイカン」が、映画と同じグリースガンで真似できるようになった。
TEXT:くろがね ゆう/アームズマガジンウェブ編集部
この記事は月刊アームズマガジン2024年11月号に掲載されたものです。
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